ボヘミアン・ラプソディ

ボヘミアン・ラプソディ

皆様、こんにちは。

今日は最近観たオススメの映画をご紹介したいと思います。

 

ボヘミアン・ラプソディ

原題:Bohemian Rhapsody
公開日:2018年11月9日(日本)
監督:ブライアン・シンガー
キャスト:
フレディ・マーキュリー:ラミ・マレック
ブライアン・メイ:グウィリム・リー
ロジャー・テイラー:ベン・ハーディ
ジョン・ディーコン:ジョゼフ・マゼロ
メアリー・オースティン:ルーシー・ボイントン

 

コチラが予告編です。

 

 

所感

言わずもがな本作は英国の伝説のロックバンドQueenの伝記映画です。
サロン・ド・シマジ内で最近オススメの映画についての話題になった折に、
散り椿、華氏119と並んでタイトルの挙がった作品です。

かくいう私も高校時代にQueenのアルバムを買い、ヘビーローテーションでよく聴いておりました。それ故にかなりの期待を持って映画館へと足を運びました。

フレディ・マーキュリー役のラミ・マレックは本人よりも線が細く、若干のアレ?感がありましたが、最後のLIVE AID(アフリカ難民救済のためのチャリティーコンサート)のシーンの演技は胸アツの一言でした!
なんでも、当時のオリンピックに使用する衛生の数よりも多くの衛星が使用されて世界的に放送されたそうです!(残念ながら本家の公式映像は発見できませんでしたが、YouTube等で是非ご覧いただきたい!)

さてさて、では何故タイトルがボヘミアン・ラプソディなのかということについて考察してみようと思います。
Queenにはキラークイーンをはじめ他にもヒット曲があるにも関わらず、なぜボヘミアン・ラプソディなのかと。
それには、フレディ・マーキュリーのセクシャリティを知ることに一つ意味があるのではないかと私は考えます。当時はLGBTに対しての見方が今よりも厳しかった時代で本人は公言してませんが、フレディ・マーキュリーがゲイであることは通説です(終生の友メアリーとの関係があったことも加味するとバイの方が正しいかもしれませんが)
そして、何故そのことがボヘミアン・ラプソディにつながるのかという点ですが、作中でも描かれているフレディの自分の性に関する葛藤とボヘミアン・ラプソディの歌詞にあると思うのです。

Mama,just killed a man,
Put a gun against his head,
Pulled my trigger,now hes dead,
Mama,life had just begun,
But now Ive gone and thrown it all away

・・・中略

Nothing really matters,
Anyone can see,
Nothing really matters-,nothing really matters to me,
Any way the wind blows….

簡単に訳するとこんな感じですかね。

前段
「母さん、僕は人を殺してしまったよ。人生が始まったばかりなのに、全てを投げ捨てて」

後段
「何も心配ないさ、誰もが知っている。何も心配ないさ、僕にとっては大したことないんだ。どんなふうに風が吹こうとも・・・」

作中でボヘミアン・ラプソディが誕生するシーンがあるのですが、ここで一つの事件が起こります。(詳細は映画を御覧ください!)
その出来事は、自分のセクシャリティを自認するキッカケになったのではないかと考えます。

前述の通り、LGBTに対しての風当たりが強い時代ですので、公にすることはできません。
さらに結婚を誓いあったメアリーもいます。私の解釈では、己の中での葛藤し続けた結果をボヘミアン・ラプソディの歌詞に込めたのではないかと思うのです。

そうすると、前段のフレーズで殺したのは自分自身(フレディ)で、後段のフレーズは本来の自分で生きていこうという決意のように解釈できないでしょうか。つまり、偽った旧い自分と訣別し、本来の偽りのない自分として生きることを決めたという曲ではないかと。中略の部分については決意するまでの葛藤のようなものを感じます。

本作はQueenの伝記映画でありながら、特にフレディの孤独感と葛藤(自分を理解してもらえない)に焦点を当てていることから個人的には納得のいく解釈ができていると思います。

フレディの葛藤、バンドの絆、男女の友情をポイントに観るとより楽しめるのではないでしょうか。とにもかくにも胸アツの一作ですので、是非とも劇場でご覧あれ!!

それでは、今日はこの辺で!